タキシードについて

タキシードの歴史

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タキシードの歴史

『タキシード』には複数のデザインが存在します。どのデザインが自分に合っているのか、また、どんなコンセプトで作りたいのか。それによってデザインを決めていきましょう。ただ、その前にタキシードの歴史について知る事から始めませんか。そうすれば、貴方のタキシード創りの参考になる事は間違いありません。

タキシードの始まり

19世紀後半、スモーキングジャケットと呼ばれる衣装が流行となりました。このスモーキングジャケットがタキシードの原型となります。名前の通り、煙草を吸う際に着用するジャケット(くつろぐための格好)。当時は煙草を吸う方が殆どだった為、流行するのも早かったのではないでしょうか。煙草の匂いなどを気にしたという事と推測されます。このスモーキングジャケットは後に、ヨーロッパのカジノなどで、上流階級の人々の中でも流行し、ラ・スモーキングと呼ばれるようになります。
デザインは、燕尾服の丈の短いデザイン。衿型は太目のショールカラーとなっており、衿の切替部分にはシルクが使われました。

ある人物によって広められた…
1876年、当時のイギリス皇太子エドワード7世によって世間に広められた。エドワード7世はスモーキングジャケットを大変気に入り、英国ファッションに取り入れ、ディナージャケットを考案し、パーティーなどで着用するようになる。その後、夜間の準礼装(現在では正礼装)として、認められるようになりました。当時は燕尾服の着用が決まりであった為、堅苦しくなく、気軽に着用出来るディナージャケットは魅力的だったのです。

ニューヨークで起きた『タキシード事件』

先ほどまでは英国での由縁についてお話ししましたが、次はアメリカでのお話を。
1886年、アメリカ・ニューヨーク州にあるタキシードパークで、当時のタバコ王が主催する上流階級の為の夜の社交会(第一回タキシードクラブ)がありました。その際、主催者の息子、グリズウォールド・ロリラードが燕尾服の裾を短くした、真っ赤なジャケット(スモーキングジャケット)に、黒のパンツを合わせていた事が始まり。周囲からは、燕尾服に着替えるのを忘れたのではないか、という声もあったそうな。グリズウォールドが、その春に訪れたヨーロッパの流行スタイルを取り入れ、意図的にそのような格好をしたとの説もあり、真相は謎のまま。。。

スモーキングジャケットからタキシードへ

1890年代には、色とりどりのスモーキングジャケットに側章付きの黒いパンツを合わせる事が若者の間で流行となり、この当時からアメリカではタキシードと呼ばれるようになる。
1920年代には現在最もポピュラーな、ブラック一色のタキシードに、カマーバンド、蝶ネクタイと、黒で統一したスタイルをブラックタイと呼ぶようになります。

衿のデザインが増える

1920年代、衿の形は、これまでショールカラーのみだったデザインから、燕尾服を似せたような形、ピークドラペルが誕生。また、ダブルジャケットも誕生する。
衿の形は地域によっても着用割合が異なっており、アメリカではショールカラー、ヨーロッパでは、燕尾服を原型としているピークドラペルが多いい傾向にある。

如何でしたか、タキシードは元々燕尾服のからきているという事、煙草を吸う際の衣装だったという事、ヨーロッパとアメリカでは主流のデザインも異なり、なかなか奥の深いものです。

是非タキシードのデザイン選びに役立てて下さい。

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